最近、多くの太鼓関係の方と出会う機会が再び増えてきました。
私自身新ユニットを結成して来年辺りから活動を再開しようと思っていたところなのでシンクロ現象かと思っています。
そんな出会いの中で、太鼓話に花が咲きますが良く「連盟の資格はお持ちですか?」や「楽譜がうまく読めません」という質問をされます。
これは一度自分なりの太鼓論を披露しておく必要があるなと思い今回の日記としました。
まず太鼓というものは、太古の昔色々な願いや喜びを。もっともっと表現したいという欲求から自然発生的に生まれ出てきたものです。日本の太鼓と形に大きく相違はあっても、同じような意味合いで生まれた打楽器は全世界的に存在します。
そして太鼓は言葉と同じです、地域によって大きく違いがあるものです。日本の本州にフォーカスしただけでも青森の言葉と、九州や近畿の言葉は大きく違いがあり、場合によってはお互いに意思の疎通が難しい場合も多くあるわけです。
ですから太鼓も同じです、八丈島の環境や社会的影響などが大きく影響して八丈太鼓が生まれたり、小倉の風土が祇園太鼓を生み出したりそれぞれ違う訳です。
今例に出した、八丈と小倉は共に横置き両面打ちの太鼓ですが、リズムや振り使用する撥なども大きな違いが存在します。
そのような中で資格制度によって規格統一を図るのは、普段津軽弁で話している人達に、標準語の資格検定を行い、この資格がないと津軽弁を話してはいけませんというようなものです。
私はこの資格制度というもの自体に反対ではありませんが「太鼓の資格」として行っている事に抵抗を感じます、「和式打楽器基礎演奏法」「和式打楽器基礎理論」等のように位置づければ良いのではないかと思います。
その証拠に、いわゆる有名な太鼓打ち達はそんな資格など持っていませんが、大学で太鼓について教えたり、海外で公演を行ったりしています。
楽譜についても同じです、太鼓は振り7、音3と言われる位色々な要素によってその演奏が行われます。
たとえば ♪♪♪♪ という四つの音符が楽譜に並んでいたとしてその通りに打てばその曲は演奏出来たのかというとそうではないですよね、他の楽器でも同じだと思います。
同じ♪♪♪♪でも、作曲した人はどの様な気持ちでここに音符を♪♪♪♪と並べたのか?その人の性格や生活している環境は?などなど色々な要素を♪♪♪♪から読み取らなくてはならないわけです。
そもそも、伝統太鼓に楽譜があることの方が珍しいことです。色々な太鼓を学ぶことは大いにすべきことですが、都内で行われる「○○太鼓講座」のようなものに参加しただけでその太鼓を語るような事は決してするべきではありません。
その太鼓が生まれた現地に必ず足を運び、その場の空気を感じリズムを感じ色を感じ、綿々と続いた歴史を感じて、現地の人と語り合う事によってはじめて、わかりだすのです。
資格や楽譜がいけないという事ではありません、それはそれで色々な意味があり発展に寄与しているものでもあります。
しかしそれ以上に、私達の身体の中には太古の昔から刻み込まれた、それぞれの資格や楽譜を持っているのです。
それぞれが自分の資格や楽譜に気づき大切にする事で、その人の演奏が形になってくるのだと思います。
今回は少し専門的な日記になってしましましたが、お許し下さい。